沈壽官窯 || Chin Jukan

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沈壽官窯とモノづくり

指宿白水館 薩摩の歴史を指宿から世界に

指宿白水館の下竹原和尚会長

指宿を『東洋のハワイ』に。

 鹿児島を代表する観光地・指宿。温暖な気候と青い海、豊富な湯量を誇る数多くの温泉、そして自然の恵みを受けて育ったおいしい食材などなど、観光地としてこれ以上ないほどのポテンシャルを持っているのだから、数多くの観光客が訪れるのは当然ともいえます。でも、そんな指宿も70年ほど前までは観光地としてまったく未開拓の場所だったことをご存知でしょうか。

 指宿白水館は、そんな時代から指宿のリゾート化に取り組み、今日に至るまで尽力し続けている老舗旅館です。永きに渡り指宿の変遷を見つめてきた指宿白水館の下竹原和尚会長にお話を伺いました。

 創業は戦後間もない昭和22年。鹿児島市の中心地に鹿児島白水館を構えました。「『白水館』というのは、父(下竹原弘志名誉会長)が戦時中に台湾で宿泊した宿の名前なんですよ。父はそこでとても良くしていただいたらしいんです」と下竹原会長は言います。名誉会長は「お客様に喜んでいただくこと」を何よりも大切にしていたそうです。

鹿児島市から指宿に移転を決意したのは、お客様を満足させるためには『庭』が必要だと思ったから。「『家庭』という言葉に『庭』の字があるように、『庭』は日本人の心。だから、庭園が設えられるような場所に移転することにしたんですよ。白水館の庭にある800本の松林は園芸課が手入れしていますが、園芸課がある旅館は県内でも弊社だけかもしれませんね」。

広大な庭園にある松林は手入れが行き届き、散策するだけでも気持ちがいい

 こうして昭和35年、指宿白水館は産声を上げます。事前に視察でハワイを訪れていた会長たちは、ダイヤモンドヘットやワイキキの景色が、指宿のそれとよく似ていることに驚きました。「指宿を『東洋のハワイ』にしよう」という気持ちが芽生えた瞬間でした。今はすっかり指宿に定着した砂むし温泉も、湯治客しかいない時代。宮崎への新婚旅行客を指宿の地まで連れて来るにはどうすればいいか、皆は必死に考えました。

指宿白水館でもプールサイドでハワイアン料理を提供したり敷地内に花をたくさん植えたりと、さまざまな工夫を凝らしましたが、やはり町全体で取り組まなければならない問題だという結論に至ります。そこで名誉会長は、「役場の職員に着て欲しい」とアロハシャツを配ったり、地元の住民に花の種を配って「指宿を蝶が舞う町にするために花を植えてください」とお願いして回ったりしたそうです。「最初は『指宿を観光地に』と言ってもあまりピンと来てなかった地元住民も多かったのですが、『いぶすき菜の花マラソン』が始まってから、町全体の意識が変わったような気がします」と会長は言います。

 今年で第33回を迎える『いぶすき菜の花マラソン』は、日本一早く開催される市民マラソン大会で、全国各地から1万5000名ほどの参加者が集まります。大会が始まると、「遠くからはるばる来てくれたお客さんに喜んでもらいたい」という思いから、地元住民たちは率先して参加者のためにさまざまな食べ物をふるまうようになり、今では彼らの差し入れが大会の名物になっています。『菜の花マラソン』が一人ひとりのおもてなしの心を芽生えさせたのです。そしてそんな意識の変化が、指宿のまちをハワイ化するのに大きな追い風となったのは間違いありません。

 さらにここ数年は、九州新幹線の全面開通や観光列車『指宿のたまて箱(いぶたま)』によって観光地としての指宿の人気ぶりはさらに加速しています。今では地元の小学生が『いぶたま』に手を振ったり、役場の職員が観光客を出迎えたりする光景が当たり前になってきました。『指宿を東洋のハワイに』という名誉会長の想いは、数十年を経て実を結んだのです。

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