沈壽官窯 || Chin Jukan

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沈壽官窯とモノづくり

『森伊蔵』が銘酒たる所以。

明治時代からこの地に蔵を構え、地域に愛され続けてきた。

お客さんが欲しがる焼酎をつくる。

 初代伊右エ門さんから数えると、森さんは五代目当主。代々、森家では当主が社氏を努めてきました。そして早世だった三代目を除き、すべての社氏は代替わりするたびに新しい銘柄を生み出しているのです。「代替わりするたびに新銘柄を出すというのは決まり事ではないのですが、『先代を越えたい』と思えば自然とそういう流れになるんでしょうね」と森さんは笑います。このように『老神』『富士』『錦江』という歴代の銘柄を超えるべく森さんが生み出した銘柄が『森伊蔵』でした。森さんが目指したのは、若者や女性に愛飲してもらえる焼酎。「戦後の焼酎は、時代が時代でしたから酔えればいいという感じで、誰も匂いなんて気にしなかった。東京では焼酎ブームが起こったりもしましたが、梅干しやキュウリを入れたりチューハイにしたりしていましたからね。単体で楽しんでもらえる本格焼酎をつくりたかった」と当時を振り返ります。時代のニーズを汲み取るにはどうすればいいか、森さんが考えたのはそれまでの焼酎づくりとはまったく逆の発想でした。製造から卸し、小売りという過程を経てお客さんの手元に届くまでの流通の流れを川上から川下へ流れる1本の川と考え、まずは川下、つまりお客さんの目線からすべてを見直すことにしたのです。「それまではつくった焼酎を『買ってくれ』というスタンスだったのですが、そうではなくてお客さんが『欲しい』と思うような焼酎をつくればいいのだと気づきました」。「木造の蔵で140年前の和がめを使って焼酎をつくる」。その基本は変わりません。森さんは原料を吟味し、今まで培ってきた技術をさらに高めて「芋焼酎は臭い」というイメージを覆す味わいの焼酎を研究しました。

左から『森伊蔵』『極上森伊蔵(長期洞窟熟成酒)』『楽酔喜酒 森伊蔵(長期熟成酒)』

 それと平行して、劣化を防ぐために茶瓶に変えたり、焼酎の大敵である紫外線をカットするために瓶全体を和紙で覆ったりと、焼酎のおいしさがきちんと伝わるようにハード面でも工夫したといいます。試行錯誤の末に新しい焼酎が完成したのは1988年のこと。森さんは自分の焼酎にご自身のお父様、つまり先代の名前をつけました。「生存している人の名前をつけた焼酎なんてそれまでなかったので、当然、先代にも反対されましたよ。でも、『今までとは逆のことをやろう』と思っていたから、逆行したんです」と森さんは笑います。『森伊蔵』は発売直後から「おいしい」と評判になります。蔵元にはたくさんのお客さんが押し寄せ、大渋滞になってしまうため、はじめは整理券を配って対応していたそう。こうした事態に森さんが気にかけていたことは、地元住民のことでした。「うちの地元の方々の支えがあって続いてきた蔵ですから、彼らにご迷惑をかけるわけにはいかない。そう思って考えたのが、電話申込みの抽選購入という方法でした」。抽選は「多くの人々に適正価格で、かつ平等に販売するのに最適な方法」と森さんは言います。『森伊蔵』のヒットも相まって、第3次焼酎ブームが訪れた時も、森さんはこの販売方法や蔵の規模を変えることはありませんでした。「うちの蔵でひと月につくれる焼酎は、一升瓶で4000〜5000本程度です。でも、自分の能力は自分が一番良く知っている。私にはこの蔵でつくれる量がちょうど良いし、今の規模だからこそ私はこの焼酎がつくれるんだと思います」。やたらとプレミアがついて不適正な価格で販売されることを森さんは懸念していますが、そうした世間のブームに流されるでもなく、かといってそれに抗うでもない。『森伊蔵』の人気は、森さんが「全国の、そして地元のお客さんに喜んでもらいたい」という一心で、真摯に焼酎づくりに取り組んできた結果なのでしょう。

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