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〒899-2431 鹿児島県日置市東市来町美山1715
TEL.099(274)2358(代)/099(274)0305(売場)
FAX.099(274)3219
島津氏は武骨だけの領主ではなく、文化に対しても一家言をもつ名君の多い大名家です。 新しく発見された白薩摩に対しても藩の美学による一つの方向が示されてくるのです。 白薩摩を含め、薩摩焼は陶器です。 温かい、そして柔らかい風合いを持つ陶器なのに、李朝白磁、即ち白い磁器のたたずまいを表現するように藩上層の希望が伝えられ、薩摩焼、中でも白薩摩に対して、特にこの希望が盛り込まれて行くのです。 温かい陶土で冷たい端正清澄な白磁の風格を表現して行くことになります。 支配者の意志は白薩摩に対して日本のどこの窯にもない不思議な宿命を負わせ、そして陶工達も全力を傾注してその方向を目標として生きたのです。 初期の、技術が未熟な頃は、そのアンバランスはあまり目立たず、田舎娘の厚化粧程度に見られていましたが、やがて更に技術が進み、生地を柔らかな太白に美しく焼き上げる技も、加飾する様々な陶技も進んで来ると、このアンバランスを面白いと見るか、陶器らしくせよと叱声を浴びせられるか、薩摩焼の評価も又、多様になって来たのです。 眠ったような泰平の徳川時代、日本最南端の地で様々な試行錯誤を繰り返しながら、窯場の小さな成功に一喜一憂しながら過ごして来た薩摩焼にも時代の波が押し寄せて来ます。 「さても強きは薩摩の土瓶」というザレ唄が出来たように、大阪市場で黒薩摩の土瓶がその実用性を評価され、薩摩藩以外にも出荷されるようになると初めて市場というものの、不思議さ、其処にもって行けばやがて日本中に拡がって行く商品市場の凄さ、苗代川人も初めて経済社会の仕組みの面白さに目を見はったとき、明治維新を予告する時代の風はいよいよ強さも増して来ます。 勝海舟が「本来英雄などいない。しかし時代が人をつくり、英雄を造り上げる。」と喝波したように、焼物にも時代につれて消長を激しく繰り返す性質があるようです。 薩摩藩の盛衰につれて、のどかな田舎の暮らしを続けていた薩摩焼、中でも苗代川は、近づく時代の風を肌で感じ、激しく羽ばたきの稽古を繰り返しながら雄飛の日を求めて、気負い立っていたのであります。
唐花つなぎ文大花鉢「薩摩丸」
(十二代 沈壽官)
高32.3cm×幅45.5cm
薩摩焼の陶祖
陶工の渡来
焼物文化の始まり
第一陶器"黒もん"
第二陶器"白もん"1
第二陶器"白もん"2
薩摩の土瓶
上絵具の開発
タタキ技法
薩摩焼の盛衰
文化を伝えた人達
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