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〒899-2431 鹿児島県日置市東市来町美山1715
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当時の西欧社会では、世界初の磁器創始の国中国。 無心無欲を感じさせる李朝白磁、などが陶器の中で最も尊敬されており、その亜流として肥前磁器も評価されている時代でしたが、総体に日本、なかんづく日本陶器は殆ど評価の外におかれていたのです。 二米もある大花瓶。 肉厚の堂々とした押し出し。 美しい草花文様をきちんと書き込み。 文様の合間から見られる美しい太白の白地。 色の豊富さ。 等、今までにない特徴をたっぷり備えた白薩摩が、万博という世界のステージに躍り出た時、ヨーロッパの好事家は息を呑み、「世界一」の褒め言葉を惜しみなく新登場の薩摩焼に贈りました。 そしてサツマウェアーは当時の日本の焼物の代名詞になるほどの名誉を欲しいままにしたのです 。 名君 富国強兵の政策を取った明治新政府は、博覧会を競うことで、技術を磨き、他国の長所を奪えるとして、国内外の博覧会に積極的に参加を奨励し、薩摩焼はその都度、日本代表の出品の作品の中で、終始中心的役割を果たしたのです。 そして又、苗代川の窯場は、藩窯堅野窯が独占していた茶陶の製作も行うようになり、それ以来皇室の方々や、茶道の宗匠の注文や訪問など文化的観光地として名品の里の一面も備えて来るようになったのです。 しかし、万事に浮き沈みがあるように、陶郷苗代川にも様々な嵐が吹き付けて来ました。 明治維新の戦いには、百余名が出征、西南の役には九十余名が参戦するなど、薩摩士族というもう一面の役割を果たさねばならず、その度に陶工の不足や技術者の不足に悩み、まさに世の揺れ動きのままに静かな陶郷も時代の荒波をかぶり続けます。 十年に一度は外国と戦争するという軍国日本の生き方は、国民の目を海外に向けさせ、何時の間にか、国内の産業、殊に美術工芸の仕事などは、荒々しい軍靴の響きに押しつぶされて行きます。 日本の最南端苗代川の窯場もその例に洩れず、工人や職人は全て戦場か工場に収集され、窯場は次々と閉鎖され、残された窯も老人がかすかに伝統を守って、僅かに煙を上げている状態でした。焼物はまさに時代の投影図。 鏡のように、その盛衰を映して行くものなのです。
色絵金欄手花卉文大瓶
錦付陶花瓶
(十二代 沈壽官 東京国立博物館貯蔵)
高77.3cm×口幅21.8cm
薩摩焼の陶祖
陶工の渡来
焼物文化の始まり
第一陶器"黒もん"
第二陶器"白もん"1
第二陶器"白もん"2
薩摩の土瓶
上絵具の開発
タタキ技法
薩摩焼の盛衰
文化を伝えた人達
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