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しかし、陶工達にはかえって大きな苦悩がのしかかって来るのです。 この陶土は採集した時は純白に近い。 しかしこの土を還元焔で焼成すると、醜いネズミ色に変色するのです。 この白い陶土は火山灰台地の薩摩の中で、今尚生々しく、噴火の影響を残している霧島山や、熱い湯の沸く指宿地区や、入来の硫黄の臭気が激しく鼻をつく地帯の陶土が中心となって組み立てられているのです。 その他には、藩内くまなく探しても千三百度の高温に耐える白土はないのです。 しかし唯一の白土には硫黄と鉄が入っているのです。 陶土に含まれる鉄と硫黄が高熱で化合して硫化鉄となって、陶土の色をネズミ色に変えてしまうのです。 これを避けて白色で美しく焼き上げるためには、在来の還元焼成では不可能で、酸化焔に頼る焼成以外に純白な美しい陶器を造る道はないのです。 しかも、不完全な登り窯で完全な酸化焼成で焼き上げることは大変なことです。 今までの李朝時代に身につけた還元焼成の知識が全然役に立たない、全く新しい分野だったのです。 還元焔を恐れて、ゆっくり慎重に薪を投げ込んでいると、窯の温度は上がらず釉薬は未熟なままで硬化してしまいます。 又、温度を気にして余計に薪を投げ込みすぎると、還元焔がかかりネズミ色の薩摩焼になってしまう。 まるで谷川の丸木の一本橋を渡るときのような、とても危険な賭をしながら他の窯では考えられない工夫と身を削るような訓練と錬磨した技術で白薩摩の太白の生地を焼き上げるのです。 窯詰めのやり方も、窯を焚く時の工人の座り方も、薪の長さも、全く独自の形を案出し、窯焚きの修行も五十センチの薪に紐を付け、先輩の指す地点にピタリと止まるように投げては手元に引き、又投げる稽古をさせられたものです。 ある評論家が、「幕末までは白薩摩は極めて一部の地域でしか生産されなかったが、それは工人達が自分の生活と身分を守るために、技術を秘匿したためであろう。」と語っておられるが、そんな甘いものではありません。 自分でこの陶土を使って焼いてみた者でなくては、その難しさは分からない。 これ以外に生きる道がない人間だけが、耐え抜いて身につける業であり、生半可な気持ちではとても出来る技術ではありません。他の人はやりたくても、到底出来なかったと思います。 今は陶土も上方の安定した陶土を使い、薩摩焼本来の陶土を使う人も殆どなく、窯もガス窯となり、還元焔でも酸化焔でも、自由自在に素人でも操れる、恵まれた今日ではとても考えられない事です。 しかしこの努力が苗代川や朝鮮系の陶工の存在を高めたのは否めないことであり、しかも本家の韓国の焼物の手法に依らない新しい発見だけに、非常に価値があります。 俗に一、土、二、窯、三、技術と申しますが、土も窯も彼等は他国の中で韓国と異なる独自のものを完成させたのです。
いまでも沈家で使われている連房式登窯
薩摩焼の陶祖
陶工の渡来
焼物文化の始まり
第一陶器"黒もん"
第二陶器"白もん"1
第二陶器"白もん"2
薩摩の土瓶
上絵具の開発
タタキ技法
薩摩焼の盛衰
文化を伝えた人達
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